Kei通信

なるべく健康、なるべく自然体。

東海道を歩く旅 1 日本橋から泉岳寺へ

待ちに待った東海道を歩く旅の初日である。

ウォーキングには靴選びが一番大事だと思う。といいながら履いたのはナイキのエアフォース1。実はまだ新しい。試し履きは何度もした。エアインソールが素晴らしい踏み心地。踵がちょっとスルスルするのが気になるけど、紐をきつめに結べば大丈夫そうだ。足をがっちり包んでくれるが重さがあるので、足の筋肉がつくまで疲れるかも。

雨の予報にもかかわらず、日が差している。出発の気分は上々である。
初回という事もあって30人近い集団になる、と前日に添乗員さんから電話をもらった。銀座の大通りを歩く30人の集団、さぞ目立つだろう。

東京駅日本橋口

今回の集合場所は東京駅日本橋口。過去に何度も通ったことがあるはずなのに、すんなりとは辿り着けなかった。電車に乗った車両の位置がそもそもダメらしく、東京駅のホームで正反対の位置に下車したためかなりの遠回りになって、時間に余裕を見て家を出たのに集合場所に着いたときはほぼビリでした。

さて、集合時刻の10:00になり、参加の面々が出そろったところで子どもの遠足みたいに2列に並んで駅の構内から外へ出る。ここはどこだ?大丸か?ビルの谷間で初回の長めなオリエンテーションのあと、みんなで荷物を降ろしてストレッチ。そしてようやく本日の行程を歩きだす。

お江戸日本橋

東海道の宿場風景を描いた、歌川広重の「東海道五拾参三次之内 日本橋 朝之景」。
「お江戸日本橋七つ立ち」の歌が我々世代でも頭に浮かぶ。朝四時ごろの日本橋の風景である。早起きした人々の生活の向こうから大名行列がやって来る。

さて、一行はイヤフォンガイドを首から下げて、イヤホンでガイドさんの説明を聞きながら歩く。花の東京の日本橋、銀座エリアのあちこちに、江戸時代から今日までの様々な道標や遺構、建築物などが今も残っていることに驚愕である。何も知らず、気づかずに過ごした私の数十年は何だったのやら。

日本橋から京都目指して伸びる中央通りをひたすら歩く。正式には国道15号線というこの道路は四丁目を過ぎたあたりで銀座通りと呼ばれ、新橋あたりからは第一京浜と名前を変えていくらしい。

途中立ち寄った由緒正しそうな和菓子屋「日本橋屋長兵衛」さんで可愛い鯛の和菓子「天下鯛へい」をいただいた。可愛らしくて食べるのがもったいなくて、大事に背中のリュックに仕舞っておく。

天下鯛へい

ヤン・ヨーステン

高島屋デパートではトイレ休憩。約30人が我先に店内に駆け込む図はシュールだ。少し行くとヤン・ヨーステンの記念碑というのがある。八重洲とは、この地に関係の深いヤン・ヨーステンが訛ってできた地名なのだということを知った。ヤン・ヨーステンが何をした人だったかについても、まったく覚えていなかった。確認のためにググってみると日本に漂着した後、家康公の厚い信任を受け、朱印船貿易を行っていたオランダ人の航海士であったらしい。

ヤン・ヨーステン記念碑
ヤン・ヨーステン碑左
ヤン・ヨーステン碑右

さて、概ね歩道いっぱいに拡がりがちなわが隊である。「建物側に寄って~」とガイドの先生や添乗員さんが声をかけてくれているが、知ってか知らずか六十路、七十路多めの我が一団は歩道を八割方占領しながら銀座の目抜き通りを突っ切っていくのである。深呼吸して、無の境地で一緒に歩く。

歩き始めて1時間半ほどで、早くも私の両腿はパンパンに張ってきた。情けない…毎朝やってるつもりだったあのトレーニングは役に立つには程遠かった。

ランチ 羅豚

金春通りで江戸時代の能役者の家柄などについての説明を受けた後、早くもランチタイムとなる。昼食は銀座八丁目の羅豚(らぶ)というお店で、生姜焼き定食をいただいた。ごはん、豚汁お替り自由という素敵なサービス付き。お替りしなくても量はたっぷり、一人前を食べきるのがやっとというボリュームだけど、今からたくさん歩くのだから全部食べても罰は当たらないであろう。

生姜焼き定食

満腹の胃を抱えて、午後の行程は少々眠気との闘いとなる。昨夜は小学生のように楽しみでワクワクして眠れなかったせいもあるし、食べ過ぎた午餐の威力でもある。ツアーで仲良くなった方からいただいたミントキャンディを口に入れて、なんとか眠気を追い払う。

芝口御門跡

芝口御門跡に到着。中央区教育委員会によれば、ここは宝永七年(1710年)朝鮮通信使の来朝に備えて新橋の北詰に建設された城門跡で、新橋はその時に芝口橋と改称されたのだそうだ。しかし享保九年に焼失した後は財政の関係なのか再建されず、芝口橋は新橋の旧称に戻ったという。

芝口御門跡

通りに「銀座御門通り」と書かれた角柱状の金属製の縦看板があって、「道路占用許可」築地警察署とある。看板の周りを柵でガードしてある。ガードがないと、車がぶつかったり、酔っ払いがもたれかかったり、銀座犬がおしっこをかけたりして保存できないのだろうか。。などと想像してみる。真実は私の知る由もない。

新橋の跡地

ほどなく新橋の跡地に着く。跡地というのは橋はもうないからだ。ウィキペディアによれば新橋が架かっていた汐留川は昭和30年代に埋め立てられて橋は無くなり、親柱だけ残された。4本のうちの一本がここに残っているが、他の3本はなんと、希望者にただであげたらしい。

江戸時代にもこの辺り一帯の海は盛んに埋め立てが行われていたようだ。江戸の歴史は埋め立ての歴史なのだそうである。今のように重機がない時代、埋め立てに使う土砂を運ぶだけでも大変な数の人足が必要だったことだろう。庶民の食べ物として普及したというウナギの辻売りは、そうした人足たちが働く力の源だったのだろうか。

日本橋から3㎞の道標が見える。時刻は13:35分。お昼の時間を抜いて2時間半ほどかけてここまで進んだことになる。

芝大神宮

芝大神宮では一同、京都までの旅の厄除けのお祓いを受けた。クラブツーリズムさんの粋な計らいである。ここは生姜飴が名物なんだそうだ。江戸時代に神社の周辺で生姜がたくさん栽培されていたようだ。

増上寺

ほどなく増上寺に到着。足を踏み入れたのは初めてだと思う。これだけ堂々と立派な伽藍が背後に東京タワーを背負っているのがシュールである。ここの大梵鐘は品川の御殿山で鋳造されたもので、東日本では最大級でありその音が木更津まで響いたと言われているのだそうだ。

増上寺山門
増上寺

札の辻

増上寺でしばらくゆっくりした後、あちこちを見ながら15:00頃、札の辻に到着する。江戸時代のはじめに、ここに高札場が設けられて布告法令などが掲示されたことからこの名がついたそうだ。元和二年(1616)、ここに芝口門を立てて江戸正面入口としたもので、門の東に江戸湾を隔てて房総の山々を望む、一日眺めても飽きない景色であったため「日暮御門」と呼ばれた、と案内板に書いてある。

はて?さきも芝口門の話を聞いたのに、また芝口門である。どういうこと?と思うが、ここの高札場は天和三年(1683)に高輪に移され、芝口門も宝永七年(1710)に先ほどの新橋北詰に建て替えられたという事だ。それで当時は「元札ノ辻」と呼んでいたのだが、明治維新後に元をまた省略して「札ノ辻」と呼ぶようになったそうだ。

高輪大木戸

ここから30分ほど歩くとさっきの高札場が移されたという高輪の大木戸に出た。大木戸は享保九年(1724)に移されたとのこと。高札場が移された年代が案内板から消されている。札の辻の案内板と見比べるとなんだか年代がおかしい気もするので、調査中なのだろうか?

この大木戸は江戸時代後期には設備を廃止されてしまったそうで、今は木戸の両側に築かれていた石垣が残っているが、小高い塚となって上に高い木や倒れそうな松が生え、草も生い茂って片側分残っている。文部大臣指定の史跡だというのに、なんだか手入れがされていない。もっときれいにしておけないものなのか?不心得者が上に上って踏み荒らしても仕方がない雰囲気の荒れ方だ。勿体ない。

高輪大木戸跡

泉岳寺

大木戸からほどなくして国道15号の反対側にある本日の最後のスポット、泉岳寺に到着だ。

一行はここで解散となり、あとは自由見学である。

泉岳寺に参詣するのはおそらく初めてだと思う。忠臣蔵、赤穂浪士など時代劇としてキーワードやストーリーは大まかに知っているが、だからと言って47士の墓を訪れようと思ったことはこの歳までなかった。まことに興味の奥行きの浅い無教養な自分である。お詫びの意味も込めて、500円払ってひとりで「赤穂義士記念館」も見学した。ここには義士の遺品が展示されている。上映しているビデオも臨場感に溢れて、良質だった。

泉岳寺

16:30頃、高輪ゲートウェイ駅からJRに載って帰路につく。体は疲れていて、帰りの電車でウトウトしそうになるが、とても心地よい疲労感だ。気分爽快。


10:00 JR東京駅日本橋口出発

10:30 一国橋

10:34 常盤橋と石垣

10:45 日本橋屋長兵衛

10:48 日本橋到着

10:53 日本橋魚河岸発祥の地

10:56 道路元標(どうろげんぴょう)

10:58 日本橋麒麟像

11:00 日本橋由来記の碑

11:28 ヤン・ヨーステン記念碑

11:30 歌川広重旧宅跡

11:45 江戸歌舞伎発祥之地碑

11:47 大根河岸青物市場跡

11:49 京橋の親柱・交番

11:57 銀座発祥の地碑

12:06 みゆき通り・街灯の鳳凰

12:11 「日本橋まで2km」の標識

12:16 金春通り

12:17 銀座煉瓦街の記念碑・木製の水道管

12:20 金春屋敷跡

12:20 昼食 銀座グランドホテル 羅豚(らぶ)

13:00 出発

13:10 芝口御門跡

13:15 新橋跡・新橋親柱

13:26 日比谷神社

13:30 日本橋まで3kmの標識

13:40 芝大神宮・力石

13:57 増上寺・鐘楼堂

14:40 屋形船

15:00 西郷隆盛・勝海舟会見の地碑

15:08 札の辻(高札場)

15:27 高輪大木戸跡

15:30 泉岳寺駅(次回集合場所確認)

15:40 泉岳寺

16:00 解散(自由行動)

16:30 泉岳寺着


歩いた距離:約15 km
歩   数:約20,000歩
消費カロリー:約600kcal

道中着:MAMMUTのソフトシェルジャケット・ユニクロのクロップドレギンス

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テーマの著者 Anders Norén